なぜ、深谷ねぎネットを立ち上げたか?
若者の一言からこのプロジェクトはスタートした!
深谷ねぎネットのはじまり
あるとき、弊社に若者が尋ねてきました。
Y君といいまして、とある会社の営業をしている方です。
その方が、小生にあるとき言ってきました。
「私は、実は深谷出身なんですよ!」
小生は、以前から知っていましたので、、
「おお、知っているよ!それがどうしたの?」
彼は「私は、深谷という土地が好きで、最終的には深谷で仕事がしたい。」
切実に言ってきました。
おばあちゃんの作った深谷ねぎ
Y君曰く、「実家は、利根川沿いで本物の深谷ねぎを丹精こめて70歳のおばあちゃんが作っています。
そのおばあちゃんの作った深谷ねぎを東京で販売したいんです!無理ですかね?」
これが、そもそもの「深谷ねぎネット」の名前の由来です。
この若者の思いから生まれた「深谷ねぎネット」は、将来の若者たちが安心して働ける、平和で豊かな街づくりがテーマとなっています。
そして、豊かなる深谷市が作り上げた文化・産業を東京へ、世界へ発信していこうというのがコンセプトとなります。
とは言っても・・
壁・壁・壁・・・
そうはいっても、深谷市を地域活性化しようということは簡単なことではありません。
以前、仕事がないときに飛び込み営業をしましたが、その内容は惨敗でした。
そして4年たった今、深谷の街は、人々の意識は変わったのだろうかという確認も含めて、とある携帯キャリアが無料で、携帯電話の電波がはいりやすくなるアンテナを無料で企業や店舗に設置する依頼が、弊社に来ました。
ここの携帯キャリアは、深谷地区では電波が入りづらく、私自身も電波が入らないために機種換えをしたほどです。
こちらの商材をもって、深谷の商店街を回ったのです。
勿論、設置費用は0円でかかりませんですし、設置した周りの近所も電波が入るようになるので、地域活性化の第一歩としては最良の商材に思えたのです。
結論から言うと、「惨敗」でした。
悲しかったです、皆さんの反応が・・・(涙)
ここが深谷の壁だなと感じた瞬間でした。
無反応に街の将来が見えてこない!
どこが悲しかったかといいますと、東京で同じ営業をしたときには、YES、NOはっきりしていました。
「おお、ちょうど良かった設置するよ。」
「うちは電波がはいるけれども、回り近所もはいるようになるんだったら、設置するよ。」とか・・
「うちは電波はいるから要らないよ!」「飛び込み営業断りだから帰ってくれ!」「忙しいから後から来てくれ!」と言うような反応です。
「YES」も「NO」もそれはそれで営業的には相手様の感情がつかめたのでOKなんです。
では、深谷の商店街はと言うと・・
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
無反応なんです。
これは、ビジネスをする場として最悪です。
反応がないと言うことは、感情がないということと一緒で、何の進歩も期待できません。
私は、実体験としまして、はじめて営業で、ある種の恐怖と絶望を感じました。
それは何かと言うと、このままでは「街がなくなるのではないか」という恐怖です。
未来へ残せるもの
深谷ねぎネットの使命
深谷で接し方々は、残念ながらとても傷が深く、暗く感じました。
「急がねばならない」
今、私はそう感じています。
次世代の人たちや、私たちの子供たち、そして受け継がれる子孫たちに我々は、何を残せるか・・
ある方がこう言いました。
「店は自分の息子に継がせない。こんな先のない仕事に大事な息子を継がすことはできない。
今一度、我々は危機感を持って考えなければなりません。
そして、未来への道を作ること・・これが我々の使命であり「深谷ねぎネット」の使命なのです。
そのために「深谷ねぎネット」がすべき第一歩は・・
それは、深谷人を知ること、深谷人をアピールすることではないでしょうか。
企業でなく、まず個人、これが最初です。
優れた人材から文化を発する。。これが「深谷ねぎネット」のポータルサイト作成への最初の着眼です。
豊かなる深谷
深谷から情報発信
雇用不振で失業者が増え、環境汚染が進み、凶悪犯罪が起きる世の中。これは、「道」を作ってきた我々大人の責任です。
その、大人の一人一人が自覚を持ち、今一度、自分の子供や孫のために、将来を築き直しませんか。
アトピーがよくなる街
実は小生は7年前まで東京に住んでいたんです。
ちょうどそのころ、結婚し子供が生まれました。
女の子なんですが、実は非常に残念なことにアトピーになってしまったんです。
東京では、生まれてくる子供のおそらく3分の2はアトピーになっているのではないでしょうか。(感覚値ですが・・)
散々病院にいったのですが、アトピーが中々治る方向にも行かず、考えた末、妻の実家がある深谷市に引越しをしてきました。
そこで驚いたいたことは、深谷市の公共施設で行う1歳ぐらいの健康診断にいった時です。
私が娘を連れっていったのですが、同じぐらいの年齢の子供たち40〜50人ぐらいいてアトピーの子供は、小生の娘ぐらい。
驚きとショックでした。
ここで暮らせば、娘のアトピーは治るのではないか・・そう思い深谷のおいしい食べ物と水と空気、これに勝るものはありません。
東京では3人に2人の幼少の子供たちがアトピーの時代に、この事態はうれしい驚きでした。
ここで、小生は深谷市の虜になってしまったんです。
「豊かなる深谷」
深谷ねぎネットは、子孫のために未来を創造し続けていきます。
一人ひとりの笑顔や、喜びが得られるようなサイトを目指し、深谷から「豊かなる深谷」を情報発信していきます。
皆さんで一緒に創造しませんか。
深谷を愛する人たちで・・・深谷は時代と共に進化し続けるべきです。